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つまらない話

考えてみれば,僕に残されたのは退屈でつまらない話ばかりなのかもしれない.何か1つを選択することは,選ばれなかった選択の喪失と共に何を失ったかさえ分からなくなる.

作者の死という本がある.書かれた言葉は,筆者の手を離れ,その解釈は読者に委ねられる.国語の授業であるような,作者の気持ちを答えよという質問は対比的に,つまり作品の向こう側に作者は不在で,あるのは演出の様式からその効果を理解することのみである.
演劇において,同一の原作でありながら,注目するところを変え,新しい切り口で話を構成し直すことがある.例えば今までは人気のなかった,わずか数シーンばかりの脇役に注目を当て,その時何故彼はそういう行動をしたのか,何故彼女は不可解な発言をしたのか.それを豊かな想像力で形にしていく.そこでも作者は不在である.

ロラン・バルトの名によって,我々には誤読の自由が与えられている.うろ覚えだが某掲示場でみた台詞だ.ロラン・バルトは作者の死の作者である.
私は常に解釈されるコンテキストである.ただひとつ通常の小説と違うのは,読者にはその物語の当事者として参加することが可能である,という点にある.