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自己の肖像と組み込まれること

我々は2つのレイヤに組み込まれている,社会と人体に.

拒食症というのは自己管理の極地に近いように思う.そもそも,口に自分以外の何かを入れて飲み込み,いつしかそれが新しい自分になるというのは,かなり気持ち悪いことではないだろうか.もっと言ってしまえば,自分以外の存在を受け入れるということは,性行為に親しい嫌悪感を発生させてもおかしくはない.
ただ我々は人体に組み込まれている.そのため,人体に影響を及ぼされることは,我々の意思とは関係なく自身が変化する.それはとても暴力的なことで,しかし我々はそういう形をしている. 食事が一般的なのも,より暴力的だからという理由に他ならない.

恐らくそれの鏡像として,或いはまだコントロール可能なものに社会がある.まず我々は社会に組み込まれている.いっとき無人島に電子機器も持たず出かけることは可能だけど,でも日常として帰ってくるここは社会だ.
社会においてどう認知されているかは,身体と違って比較的操作し易い.しかし,その本質は外部性にあり,多くは自己の価値は他者との差分によって決定されるという点に置いて,身体に組み込まれているのと同様に思える.

beatlessという小説でアナログハックという単語と関連する概念が登場する.要するに,猫はかわいくて,その可愛さがポジティブなものはどうしようもない,ということだ.恐らく食べたくもない料理を口にするととても美味しく,咀嚼していると嚥下してしまう,というのも同様に思える.
結局の所,その暴力性の中に僕は居る.きっとより地方の人だったり,貧困層だったりすれば,その暴力性は身近なものになるだろう.そして殆どの場合暴力性への復讐や超越はかなわない,何故ならそれを従えることそれ自体が他者にとっての暴力性になるためだ.

崇高な哲学は空腹に叶わず,我々は日々暴力性に従う.それは諦めではなく,スタート地点だ.