読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

集中力

最近どうしたら集中力が続くかということを今更ながらに考えていたのだけれど、結論としてはダラダラと注意を向けさせるタイプのスマホアプリと同型のイベントがダメっぽい.

 

以下いつもの自意識過剰

内容より、結局こちらの話をそもそも聞く気がないよね、という状態の方がいる。同一の主張をしても、似た表現でも、僕が書いた言葉・言ったことは忘れてしまって、他の誰かが言及して初めて意識に上る。不思議な現象だと思う。もちろん僕にも発生しているかもしれないけれど。

鈍さは強いという主張は鈍いのか。それは自己正当化でしょという発言は自己正当化なのか。それらは無限縮退という構造で特徴付けられる。論理性の批判なんて民間人が研究者の研究を評価するようなものだ。つまり単に知性と感性が足りない。論理性を矮小化できるのは当人以外存在しない.

感性,品性,知性.都合の良い便利な単語だ.でもそれらが浮き上がらせる何かは多分存在する.指し示す指先を見てもそこには何もなく,ただ描く線上にこそ想像力があり,言葉の意義がある.そういう何かがあって,つまりはそれらに通底する構造に論理性と名前を付けた.

綺麗なものには構造がある。*1必要なのはそれを見出して、そいつが一番シュッと収まる言葉を与えてあげること。我々自我は,身体や社会を除けば,そういう性質でしょう?

相対主義の相対化は論理性を駆使すれば御せるけど,理性のり性化は解けない.唯一できるのは名前を与えないことのみであり,しかしてそれも完全に乖離できるわけではない.ただ身体と同じように,社会と同じように,言葉との接し方が存在するのみだ.ただ御せないからと言って価値なきように言われるのが耐えられないのかもしれない

*1:薔薇の名が無きもその匂いは芳しく,結晶の輝きは化学式で呼んでも変わらない.夏目漱石草枕で通った所っぽい